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      源義経の人事考課 (考課日:2002/4/3) sasakiさんからの投稿  
     1.考課対象  
   

 壇ノ浦の合戦

 
     2.主な行動事実  
     主な行動事実。歴史上の事実による。

源氏の本軍を率いる範頼、義経の両人は正月二十九日、院の御所に参上して、平家追討のために西国へ発行する旨、奏上した。平家軍が福原まで戻って再び都をうかがうという情勢になったことを受けての行動である。
もとより、平家追討は後白河法皇の意図でもある。
「本朝には、神代より伝われる三つの神宝がある。よくよく心して、必ずや無事
に神器を都へ還納するように。」
との法皇の言葉が範頼、義経に伝えられた。幼帝が京都と福原に両立していると
いう異常事態のいま、皇位継承の正統性は三種の神器でしかない。その思惑を、
確認させておく必要があった。

1185 元暦2年
文治元年
27歳

3月。平家一門滅亡する。

 
     3.人事考課の考え方  
    1.成績考課

 職務基準は上司である兄頼朝からの勅命

「平家に庇護されている安徳天皇が持っている三種の神器を取り戻す事」である。

平家一門との戦いには完全に勝利したが、三種の神器は安徳天皇の入水の際に神剣を失ってしまい、取り戻す事ができなかった。
この目標は平家を完全滅亡させるよりは低い基準の目標であり、もし義経が平家滅亡より三種の神器を取り戻す事を優先していたら取り戻す事ができたはずである。
したがって、これについては期待以下Cと判断せざるを得ない。

2.情意考課

 上司からの命令「三種の神器奪回」をないがしろにし、合戦の勝利、平家滅亡を優先させたことから責任性はCと判定せざるを得ない。
協調性に関しては軍監の梶原景時との不仲が一般に言われるが、自分の仕事を完成させる(合戦での勝利)のための見解の違いから来るものであり、問題なしBと判断できる。
また、大将自ら戦いの先陣につき、戦闘の指揮をとったことは、どんな手段をつかっても勝利すると言う責任性の表れとしてこの件に関してはAと評価する。情意考課(この場合は責任性)において、同じ考課要素でCとAがある場合は「下を取る」というルールにより、責任性はCとなる。

3.能力考課

 船の逆櫓をつけずに合戦に臨むなど、当時の常識を超えた判断により不利と思われた合戦に勝利しており、判断力はAと判断できる。
それまでの合戦では非戦闘員とされた船の漕ぎ手を射殺す戦術により、平家の足を止めるなど企画力もAと判定できる。
指導力、折衝力に関しては壇ノ浦の合戦について、特に判定できる資料が手元になくBとする。

4.ウェイト

 義経は鎌倉幕府(頼朝)の代官であり、源氏による平家討伐隊の最高責任者。結果が求められる職務のため、成績60%、情意20%、能力20%とする。

5.結論

 源義経の壇ノ浦の合戦における人事考課は期待水準を下回る「C」と判断する。

 
     4.人事考課の結果  
   

 

考課項目・要素 評語 ウエイト
成績考課・三種の神器の奪回 60%
情意考課・規律性 5%
情意考課・責任性 5%
情意考課・協調性 5%
情意考課・積極性 5%
能力評価・判断力 5%
能力評価・企画力 5%
能力評価・折衝力 5%
能力評価・指導力 5%

総合評価

 C 49点/100点

 

 
     5.補足説明  
   

 合戦における戦術・能力は天才である義経であるが、兄頼朝の鎌倉幕府構築という構想を理解していなかったために、目標を達成する事ができなかった。
この後、義経は頼朝より代官の任官を解かれ、ついには頼朝から追われる身となってしまう。

現代でも、現場の仕事ができるいう事と企業全体の目的達成に貢献できる事で、相反する事がある。
管理者クラスの場合は自分の功よりも企業全体のグランドデザインを優先した仕事ができる事が求められている。