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      言いたい放題 5  
     21.知らない責任  
   

 新潟の監禁事件で容疑者の母親は、監禁された女性のことを知らなかったので、起訴されないそうである。以前の証券不祥事で、不正を細かく報告した社員が役員から「なぜ、報告するのだ」と叱責されたらしい。法律上は、知らないほうが責任回避できるようなような気がする。

 しかし、実社会、特にビジネスにおいてはそんなことは決していえない。知らない、あるいは知ろうとしない責任は重大であり、決して許されるものではない。
 顧客や部下のちょっとした変化、よからぬ前兆に気づいていながら(はじめから気づかないのは論外)知らないふり、気づかない振りをして、問題が起こってから、私は知りませんと傍観者を決めこむ。こんな輩がまだまだ多いようだ。
その上司も、知らなかったのだからしょうがない、とそれ以上の責任追及もしない。そして、知らないことはいいことだという風土が形成される。

 ビジネスは法律とはちがう。ビジネスでは「知ろうとしない」ことは罪悪である。「知らなかった」ということは決して免罪符にはなりはしない。
 知らなくても知ろうとすることが必要であり、それが責任ではないだろうか。 

 
     22.プロとアマ  
   

 プロはお金をもらって仕事をする人、アマはお金をもらわない人、といわれます。
当然私たちは給料を得ているわけですから、プロの社員になるわけです。
本当のプロ社員とはどんな人を言うのでしょう。
 私は、自分の感情と仕事の対する影響とどちらを優先するかだと思います。
自分の感情を優先する人はアマ、仕事への影響を優先する人はプロと言えるのではないでしょうか。
 たとえば、「電話は明るく大きな声で答えましょう」、とわかっていても、自分は少し恥ずかしいから、小さな声でボソボソボソ。これはアマ。
少し恥ずかしいけれど、お客さんにいいイメージを与えた方が仕事にプラスになるから、大きな声で答える。これはプロ。
電話応対ひとつにも、プロとアマの差は出ます。
下記に、プロとアマの違いを、列記してみました。

他人のミスを発見したとき
  またミスだ。注意しようかな、でも変に嫌われたり、職場の雰囲気が悪くなるからやめとこう。自分で直せばいいや。 これはアマ
 またミスだ。何度も注意するのは気が進まないけれど、しっかりやってもらわないと仕事に悪影響が出るから、注意しよう。これはプロ

仕事の質問があるとき
 質問があるのだけど、上司は機嫌悪るそうだから、後にしよう。…で聞かずじまい。 
 機嫌悪そうだけど、今聞かないと仕事が進まない。多少文句言われたって、この件だけは確認しよう。

会議で意見があるとき 
 こんなこといったら、みんなに馬鹿にされるかもしれない。自分のことを変に思われるのはいやだから、みんなの意見に賛成しておこう。 
 こんなこというと、みんなに馬鹿にされるかもしれないけれど、こんなこともありうることだから、一応押さえておかなくちゃ。

残業 
 帰りたいな、でもみんな残っているから、もう少しいよう。成績も出てないし、先に帰ったら仕事してないように思われる。 
 さあ帰ろう。みんな残っているけれど、自分の仕事は終わったし、特に協力することのなさそうだから、早く帰って、明日もがんばろう。

報告 
 商談うまくいかなったたな。こんなこと報告すると、また、どやされるから、黙っていよう。会議のときにまとめて言えば、1回どやされればすむから…
  こんな報告はしたくないけど、でも、今後のこともあるし、早く報告して、次の手を相談しよう。

その他 
 仕事への影響より、自分の感情や立場、周りからの目を意識し、優先させる。
 多少いやな思いをしても、仕事への影響を優先する。その結果、いい思いができる。
 

 
     23.人材の色々  
   

人災
 
自分ができないのは上司の教え方が悪い。みんなが協力してくれない。私にはこの仕事は向かない。など、責任転嫁をする通称「くれない族」です。他の人に災いを起こすことから人災といいます。

人罪
 
10のことを教えても10のことすら出来ないタイプです。やる気もなく、「あの人には困ったものだ」と評価される人です。他に迷惑をかける罪深い人であり、給料分の仕事すら出来ない「月給泥棒」を人罪といいます。

人在
 
与えられた仕事は何とかこなせるが、それ以上に「頭」や「気」を働かせることをしないタイプです。最近の若者に多いとされる「指示待ち族」のレベルです。居るだけましということで、人在といいます。

人済
 
過去には確かに会社に貢献し活躍したのだが、今はもうその気力もなく、過去の栄光に溺れていばり散らしているだけ。新しいものを受け入れようとせず、持論を押し通すタイプです。もう御用済みということで、人済といいます。

人財
 
まさに職場にいなくては困るタイプです。10のことを頼むと10以上の成果を生み出す人です。専門能力もどんどん身につけ、豊かな人間性をもちやる気も十分で自己啓発も怠りません。まさに、職場にとっての財産という意味で人財といいます。

人材
 
潜在能力を持ち得る状態で、上記のどの「人ザイ」にもなりうる可能性があります。料理でいえば材料段階で、今後の指導や環境により、おいしい料理に仕上がっていきます。

 
     24.親のしつけ  
   

 管理者研修で、今までに部下を叱ったことがある人、と聞くと30人中2〜3人くらいしか手を上げない。
よほど部下が優秀なのか、それとも、上司の自覚がないのか、情けなくなる。
そんな時、「自分の子供さえしかれないのに、他人をしかれるわけないですよ」といわれると、確かにと納得しながら、これでいいのかと不安になる。

子供を育てるということと、飼育するということは違うはずだ。
体だけでなく、心も大人に育てていくことが必要なのに、体だけ大きくして、育てていると勘違いしている親が多い。

本当に子供がかわいかったら、その場は憎まれても、いけないことはいけないとしかるはずだ。
子供より自分がかわいいから、自分をいいこぶって、いけないことも見逃してしまう。
その方が、自分も心地よいし、子供もなついてくれるからなのだろう。

ただ単に甘やかしたり、お金を与えることは、いけないことだとわかっていながら、子供の将来よりも、今の自分の心地よさを優先して、しからない、しかれない。

無責任とは、このままではダメになるとわかっているのに、何も手をうたないこと。
と、いわれるが、まさに無責任な親である。

 そんな無責任な親を育てた、その親はもっと無責任である。

 
     25.オウム報道  
   

 オウムは悪い。あの一連の事件は許せない。これは明らかである。
しかし、末端の信者や就学前の子供まで、悪いのだろうか。
事件をおこしたのは、一部幹部であり、末端の信者は関係ないのでは・・・・・。

 企業のトップが事件をおこした場合、その社員も排除されるということは、ありえない。
オウムは企業とちがって、宗教団体だからという考えもあるが、逆に、マインドコントロールされた被害者と考えたほうがよいのではないか。
末端の信者を排除するのではなく、一般社会との接触を多くし、社会復帰できる道を作ることが問題の解消につながるのであって、世間が排除し、小さい世界に閉じ込めようとすれば、ますます信心が強まり、怖い存在になっていくのではないだろうか。
 もちろん、近所にオウムが住んでいるという、住民感情も考慮する必要があるであろう。

 ここからが、本題のオウム報道であるが、
日ごろ、人権擁護という言葉で、未成年や精神鑑定が必要な加害者には、被害者以上の擁護をしておきながら、このオウムに関しては、実際の事件に関与していない信者(ある意味では世間一般の判断能力がない人)に対して、被害者の感情を考えると、いう言葉で人権を無視した報道や、人権を無視した住民の行動を無批判で報道している。

 日ごろ、えらそうに人権擁護論を述べる評論家諸氏も、オウムに関しては、人権なんか口にもしない。
事件については、加害者と被害者いて、加害者については法律によって処理されるものである。
組織が悪いということと、組織にいる人が悪いということは、別問題である。
組織に操られている被害者かもしれない。
それを、組織もそれを構成する人も一くくりにして、悪い悪いじゃ、報道のミスリードになってしまう。

 組織をつぶしても、組織を構成する人が考え方を変えなかったら、地下に潜りさらに怖くなる可能性がある。
組織の構成員(実際に活動する末端の信者)のオウムからの開放が必要であり、そのような世論を作っていくことが、必要なのではないだろうか。